桐の花林を抜け炭を運んだ古道

⊙劉克襄(2008.05.12自由時報副刊)攝影:葉怡君

次第に上っていく赤土の山道は、たくさんの卵石が重ねて敷かれ、鬱蒼とした森の中を、細くくねくねと伸びていく。時に険しい坂を上り、時に暗く湿った谷を下る。このような高尚で美しい山道は、桃竹苗地域の丘陵でもそれほど残っていない。

五月の初め、白い桐の花がまたゆっくりと落ち始めた。花は卵石の間を飾り、自然と伝統建築の美学を歩道に結合させ、この世のものとも思えない雰囲気にあふれている。油桐花の林で、こんなにきれいな道は、ここだけだろう。

帰宅後、好奇心に駆られ、百年前の日本統治時代の《台湾堡図》を広げた。この古道は早くからはっきりと描かれており、火焔山脈北側の山区を横切っていた。

この道は通霄福興地区の多くの山坑から三義(旧地名は三叉河)に通じている。それは当時の福興地区の住民にとって、生活物品の売買や農産物の運送に必要な山道だった。通行が便利だったため、現地の住民は険しい山沿いに、その地で材料を探した、百万年の卵石を基礎に、この石段の歩道を修復し、通霄山区から嶺を越えて、三義駅に着けるようにした。

三、四○年代には、火焔山で木炭業が盛んになり、多くの木炭商人たちが福興と大坑の山に買い入れに向かい、荷担ぎ夫を雇って三義駅まで担いで運んだ。山区の木炭窯はどこもそうだった。

当時生産された木炭は、主にこのよく修築された歩道に頼っていた。木炭は、多くの荷担ぎ夫が三義駅まで担いで運び、輸出された。当時の炭担ぎの販売価格は低かったが、その他の中間業と比べると、なかなかの利潤だったため、荷担ぎをする者は大勢いた。現在、挑炭(炭担ぎ)古道とよばれているのは、そのためである。

木炭として焼かれた薪は主にアカシアだった。アカシアはこの辺りの山に広く分布し、樟脳、楠木、油桐などの優勢種に混ざって生育している。木炭の大量の需要により、付近の山には多くの炭焼窯が出現した。三、四十年前、天然ガスの普及により、木炭産業は次第に需要がなくなり、炭焼窯は終に廃棄された。それに対し、農道が多数開かれ、対外交通も大量に改善され、住民は経済効果の高いレモングラスを植えるようになり、挑炭古道は、あまり使われなくなって、荒れて雑草に覆われ、人々に忘れ去られていった。

しかし、多くの地元の年長者は、この山道の存在を忘れることなく、早年ここで苦労して炭を運んだ先祖たちに思いをはせた。ここ数年、三叉河登山会を頭に、少なからぬ登山者たちが力をあわせて古道を探し、雑草の生い茂った山林から、昔の古道を探し出した。その後、徐々に修復が進み、ついにこの古道が再び日の眼を浴びることになった。現在では、民衆が昔を偲ぶ健康歩道になり、桐の花の季節になると人が大勢訪れるようになった。

卵石古道は保存状態がいいが、炭焼窯はまだあるのだろうか?今でも一、二十の遺跡が、山の中にあるという。探してみたが、炭窯の跡は見つけることができず、たいへん遺憾である。

当時、この古道で炭を運んだ人は、一体どんな姿をしていたのだろうか?挑炭古道の三義48県道入口に、地元の木雕芸術家、学榮の作品『荷担ぎ夫の像』が立っている。この彫刻の荷担ぎ夫は民間の昔のイメージを彫ったものである。頭に笠をかぶり、上半身は裸で半ズボンをはき、肩に木炭を担いだ質素な農民で、楽観的な笑顔を浮かべている。傍らには躍動感あふれる解説が書かれており、この頃の荷担ぎ夫の性格を鮮やかにユーモアを交えて描写している。

阿旺伯(アワンおじさん)
年齢:168歳
学歴:食道楽、生涯学習
性格:篤実、頑固、多忙、勤労
仕事:木材探し、木材運び、窯入れ、炭焼き
窯出し、籠入れ、炭担ぎ、販売
格言:木炭担ぎは心が痛いがお金を手にすればうれしくなる
成就:靚女成鳳、五子登科(娘も息子も成功を収めた)

彫刻像の前には、約40キロの本物の木炭の竹かごが置かれており、担いでみることができる。私も担いでみたが、ほんの二、三歩でダウンしてしまった。現代人ならがんばっても50メートルも担いで歩けば、息が切れるだろう。当時の人は山を越えて一、二時間も歩いた。

現在、最も完全に保存されているのは、通霄鎮福興里車輪坑の農道二キロあたりで、西側に永興農場の指標があり、古道入口は路東、終点は三義郷雙潭村の大坑である。北側の挑塩古道と比べ、この山道は森林が鬱蒼としており、卵石の保存状態はよく、北台湾の湿地地区の山道を彷彿させ、火焔山の乾燥した悪い印象を取り去ってくれる。

全体的に見て、挑塩古道はもちろん、挑炭古道、この区間にあるその他の多くの古道、これら火炎山山脈北側の古道には、ある特色がある。大抵が東西向で、多くが海よりの坑や谷の小さい村が点在し、その山の小さい集落をつないでいる。これらの旧山道は、その機能によって異なる名前で呼ばれているが、たいていは苦しい生計を支えた道で、山海に隔てられた客家人の貧しい生活の命脈につながっていた。

卵石古道を歩くたび、懐かしさに囚われる。この古道はこのようにしっかり修復され、早年の修路の美学にあふれており、且つ生い茂る森林に、私は、民の生活の歴史を感じて感動でいっぱいになる。